プラダ カンパニー
プラダ カンパニー プラダとは?
プラダとはイタリアを代表するアパレルブランドです。1913年、マリオ・プラダがミラノに「プラダ兄弟商会」を開いたのが始まりです。3代目であり、マリオ•プラダの孫娘にあたるミウッチャ・プラダが開発したナイロン使用のバッグで、一躍世界的なブランドとなりました。
それ以後、バック類だけににとどまらずウェアも展開しはじめます。デザイナー、ミウッチャの最も得意とするアイテムはスカート。常に新しい角度からデザインに取り組み、これまでに見たことのないようなシルエットや色使いで世間を驚かせてきました。ウェアのラインとしては初めて立ち上げたレディースウェアは好調で、最も旬なブランドとして不動の地位を築き上げてきました。女心を最も理解するデザイナーとして有名になったプラダは、セカンドライン、ミュウミュウ、スポーツライン、メンズと次々に新しいラインを展開してきました。
1999年にヘルムート•ラング、ジル•サンダー、イギリスのシューズメーカー、チャーチーズと、他社を次々と買収し、LVMH社とともにLVPという合併会社を設立。フェンディを傘下におさめるなどして友好関係を保っています。現在、プラダグループのオーナーはパトリッツィオ•ベルッテリです。
プラダ カンパニー LVMH
LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトングループとは、創業以来、一貫して「旅」をテーマに、レザーグッズ、アクセサリーに加え、プレタポルテ、ウォッチ、ジュエリーを展開し、多くのお客様から高い支持を受ける「ルイ・ヴィトン」をはじめ、「ヘネシー」「クリスチャン ディオール」「ジバンシィ」など誰もが一度は耳にしたことがある高級ブランドを扱う取り扱う企業の集合体です。
プラダは1999年にLVMHと合併会社、LJPを設立し、以後友好な関係を保ち続けています。LVMHの事業は大きく5つの事業セクター、ワイン&スピリッツ、ファッション&レザーグッズ、パフューム&コスメティックス、ウォッチ&ジュエリー、セレクティブリテーリィングから成っています。
ワイン&スピリッツには、モエ•エ•シャンドン、ヴーヴクリコボンサルタン、
クリュグ、メルシエ、ウォッチ&ジュエリーにはタグホイヤー、ゼニス、フレッド、オマス、デビアス、そしてセレクティブホールディングにはセフォラ、マイアミグループライン、DFSなどがあります。また、最も有名なファション&レザーグッズには、ルイ•ヴィトン、ロエベ、セリーヌ、ジバンシィ、ケンゾー、エミリオ•プッチ、またパーフューム&コスメティックスにはゲラン、メイクアップフォーエバー、フレッシュなどがあります。
プラダ カンパニー プラダグループ
プラダグループは現在、プラダレディース、プラダメンズ、プラダスポーツ、プラダアクセサリー、そしてミュウミュウレディース、メンズの6つのラインから成り立っています。
ブランドを再生するきっかけとなったナイロン素材のボコノシリーズ、そしてレザー素材のサフィアーノは、それまでバック素材の取り扱いに悩まされていた若手キャリアウーマンやOLの間で爆発的なヒットを遂げ、日本でも大ブームを起こしました。
上流階級の洗練と女性デザイナーならではの温かみ、そして常に新しい素材、加工を追い求める姿勢でミラノモードの最前線に立ち続けています。
プラダグループが運営するセカンドラインのミュウミュウもファーストラインに負けず劣らずの人気で、1992年のデビュー以来、幅広い世代から愛されています。
プラダより低い年齢層をターゲットとし、プラダよりさらにフェミニンなデザインはミウッチャのイメージをブランドの枷無しにダイレクトに伝えています。
ドリュー•バリモアやクロエ•セヴィニーがイメージシンボルのブランドです。
プラダ カンパニー 世界のプラダストア
プラダはエピセンター(震源地)と呼ばれる超巨大な直営店をアメリカに2つもっています。
ひとつはニューヨーク州ニューヨーク、そしてもうひとつはカリフォルニア州、ビバリーヒルズにあり、両者共、レム•コールハースによって設計されました。
エピセンタープロジェクトは、前衛的建築家と組み、洋服のショーケースである店舗設計から徹底したプラダの世界観を視覚化する、というものです。
外観から店舗の中がかすかに透けて見える、という特殊なガラス素材を使ったウィンドー、フロアごとにデザインされた什器、どれをとってもミウッチャのデザイン魂—究極のミニマリズムが垣間見えます。
直営店以外には、パリのコレット、ロンドンのハーヴェイニコルズ、リバティなど世界中の有名セレクトショップやデパートにて取り扱いがあります。
近年、香港などのアジア圏でもプラダ熱は高まっており、新たなエピセンター建設のプロジェクトが進められています。
プラダ カンパニー 日本のプラダストア
プラダの国内オンリーショップは、日本店第1号の銀座店に次いで、青山のエピセンター(震源地)が2店舗目となります。
これまでにプラダは、ニューヨーク、ビバリーヒルズにエピセンターをオープンさせており、日本店が世界で3番目となります。
直営店以外には、丸の内の有楽町ビル、新宿伊勢丹、高島屋、池袋東武、玉川高島屋、そごう横浜店、横浜高島屋、そごう千葉、渋谷パルコなどの各地有名デパート、セレクトショップにて取り扱いがあります。
これらのインショップにおいても、直営店と同様にブランドイメージはかたくなに守り通しています。一歩店内に足を踏み入れるだけで、そこはプラダの世界。ディスプレーの仕方から什器のデザインまで、遠くイタリアのミラノのエッセンスが体感できる空間になっています。
日本におけるプラダの人気の理由とは何でしょう?
ひとつは、やはり欧米のブランドを賞賛する現代の日本の消費社会の反映があげられます。〝誰もが認知するネームバリュー〟—これが第一にあげられうでしょう。しかし、二番目にあげられるのはプラダの世界観が実際に日本のマーケットの〝今〟のニーズにマッチしていることでしょう。世界的水準においても斬新なものをつくりだしているプラダは、それと同時に消費大国日本にも合うプロダクトを作り出しているとは流石です。
プラダ カンパニー 建築へのこだわり
この10年間の間に、プラダはエピセンター(震源地)と呼ばれるプラダグループのプロジェクトを意欲的に現実化してきました。
2003年に東京青山に3店舗目の巨大ビルを誕生させる前にすでに直営店をアメリカに2つもっています。ひとつはニューヨーク州ニューヨーク、そしてもうひとつはカリフォルニア州、ビバリーヒルズにあり、両者共、レム•コールハースによって設計されました。
エピセンタープロジェクトは、前衛的建築家と組み、洋服のショーケースである店舗設計から徹底したプラダの世界観を視覚化する、というものです。
外観から店舗の中がかすかに透けて見える、という特殊なガラス素材を使ったウィンドー、フロアごとにデザインされた什器、どれをとってもミウッチャ•プラダのデザイン魂—究極のミニマリズムへのこだわりが垣間見えます。
これほどまでにプラダが建築にこだわる理由—それは洋服を形作るのと同じように、人が存在する空間をデザインしたいという想いーそこに派生しています。
近年、香港などのアジア圏でもプラダ熱は高まっており、新たなエピセンター建設のプロジェクトが進められています。
プラダ カンパニー コラボレーション
プラダが題材にされた映画、〝プラダを着た悪魔〟の日本公開にあわせ、ユナイテッドアローズとのコラボレーションボックスが限定発売されました。
1つ4,900円、合計5000個の少数ロットのDVDボックスはアマゾンで販売されましたが、発売と同時に即完売し、2年近くたった今でもネットオークションでの売値は高額で、人気のある商品のようです。
この成功は、世界的な人気を誇るプラダと日本を代表するアパレル企業、ユナイテッドアローズのブランド力にあるでしょう。また、ユナイテッドアローズでプラダの商品を取り扱っていないのに、コラボレーションを限定アイテム(しかも洋服でないところがマニアにはたまらなかったようです)、限定数量、期間というのがさらに追い打ちをかけたようです。
ユナイテッドアローズがこのコラボレーションを決めた理由は、〝ファッション界を最先端でリードするプラダに敬意を払うため〟だったそうでプラダの方も、〝日本の名だたる企業とのコラボレーションは双方にとって有益であり、イメージアップになる〟と考えたからだそうです。
大成功をおさめ、幕を閉じたこの映画、そしてコラボレーションアイテムは今やファッション界ですでに伝説となりつつあるようです。
プラダ カンパニー エピセンター•ストア
エピセンタープロジェクトとはプラダが仕掛けるプロジェクトで、前衛的建築家と生んで、プラダのショップをプロデュースし、その店舗でのショッピングを通じて、ブランド体験を高めようというプロジェクトです。
そしてエピセンターストアはプラダが手掛ける旗艦店のことです。現在、ニューヨーク、ビバリーヒルズ、東京(青山)の世界3カ所に存在しています。
このプロジェクトの第1店舗は、現代建築では著名なオランダ人建築家レム•クールハースの設計事務所OMAと組んで行った、ニューヨークソーホーの店舗です。
什器の設計にも力を入れているプラダがビバリーヒルズ店に選んだのは、ドイツ生まれののクレメンス•ヴァイスハール。彼の持つミニマルなテイストがプラダのイメージにぴったりと合っています。
東京青山店は、スイス出身の建築ユニット、ヘルツォークとド•ムーロンにより設計されています。このコンビは2001年にロンドンの美術館、テート•モダンでプリツカーショウを受賞している世界的に著名な建築家ユニットです。売り場が外からほどよく透けて見えるのが特徴的なこの建築は東京の新しいランドマークとして、日夜、多くの人がその建築を見に訪れています。
